はしがき
こどものころからどんくさい。「真面目」「几帳面」と言われてきたが、たまにヘマをする。小学生のとき「私は運が悪い」という題の作文を書いた。運が悪いエピソードを連ねて、でもなぜかまるく収まることが多いというふうに結んだ。作文の出来はイマイチであったが、いいトピックだとふりかえってみて思う。むしろ、既出であったことが悔しい。
わたしがくだらない失敗をするたびに、父は「どんくさいなあ」と笑った。「どんくさく生きて下さい。」という題は、亡き父の言葉を借りた。十二歳の誕生日にもらった手紙に書かれている。「どんくさいあなたがすきだよ」でも「どんくさいままでいてね」でもなく、「どんくさく生きて下さい」である。十二歳に贈る言葉ではない。死んでしまったから「生きて」がより重たく感じる。自分を追いこみすぎてよく草臥れる。そのたびに、真面目であることだけがあなたの良さではない。むしろ、隙こそがあなたの持ち味だと言われているような気がして悔しい。
小学生のわたしが書いたように、いまも、なぜか失敗が許されて、なぜか事なきを得ている。どんくさいことが明るみになると、人との距離がぐっと縮まる。他者のどんくさいところを知ると、そのひとのことが好きになる。どんくさいってなんか憎めない。
このページでは、そんなどんくさいエピソードを全10本お届けします。「下さい」は本来ならばひらがなが適切かと思いますが、父の言葉をそのまま借りることにしました。
落とすこぼすと思ったものは必ず落とすしこぼす
学生のとき、カラオケ屋で働いていた。休日は忙しい。カラオケ屋の言う休日とは、金曜の夜・土曜終日・日曜の昼である。日曜の夜は料金区分でも平日扱いになる。
日曜の昼が過ぎ去ったあと、わたしは厨房を片づけていた。何品も平行して作るため、作業台は荒れる。出しっぱなしにしていた調味料やトッピング材をいっぺんに持つ。落としそうと思いながらしゃがみ、冷蔵庫を開けようとしたとき……落ちた。
カラースプレーのタッパーを落とした。カラースプレーとは、ソフトクリームの上に乗っているカラフルなあれのことである。タッパーは落ちた衝撃で開き、見事に床がトッピングされた。ちょうど先輩が帰ってきて、掃除してくれた。
「怒んないんですか」と訊いた。先輩は「原が客を殴ったらちょっと怒る」と言った。お酒を作っていた別の先輩は「ちょっとなんや」と言った。原が客を殴ったら客が悪い、とのこと。先輩はすぐに仕事をサボる。先輩のほうが殴られる見込みがある。
落とすこぼすと思ったものは、必ず落とすか落とさないか、こぼすかこぼさないか、なのだ。イリュージョンでも起きない限り、運命は二者択一である。しかし、落とすと思っている以上、リスクは上がっている。落とさないための行動を取れるはずだ。「落とすこぼすと思ったものは必ず落とすしこぼす」は、落とさないため、こぼさないためのマイ標語である。
ままあるある
ひとり暮らしをはじめて八カ月が経った。月にいっぺんドラッグストアの宅配サービスを利用している。ライフスタイル・立地・体力・センスを考慮すると、消耗品の購入はこれが最もよい選択であるとわかった。
届いた荷物を開けていく。今月は不足しそうなものが多かったので、このサービスの有難さを切に感じた。ひとつひとつ確認していると身に覚えのないものがあった。取りだしてみると「排水口用水切りネット」と書かれている。身に覚えはある。ただし、でかい。
ママあるあるをやってしまった。実家のキッチンで使えないか問い合わせる。「文庫本よりでかい」と並べて写真を送った。「うちは浅型やわ」と返事が来た。実家では、母の買いものの失敗を「ママあるある」と呼んでいる。はじめは、わたしと二人の妹の間だけで流行していた。このごろは、母自身も「ママあるあるやっちゃった~」と言っている。大流行だ。
ひとり暮らしをはじめたころにもママあるあるをやった。シンクの角に置くスポンジラックを買ったのだが、大きすぎて、邪魔で、実家のシンクで使ってもらうことになった。先日、実家に帰ると、ラックの網目にまな板が挟まれていた。「漂白するときにちょうどいいねん」と言っていた。こうして、わたしの手元を離れてうまくやっていることがままある。さて、水切りネットはどちらに行こう。