a little light - web
泣いて、泣きやんで、また泣いて、生きるのだ。でも、かなしみとかなしみの間には小さなひかりがある。よろこび・しあわせ・気づき・諦め、そういうもの。じぶんで灯すこともできるし、誰かが灯してくれることもある。(2024.8.27)
かつてそのような日記を書きました。以下は、わたしの小さなひかりの記録です。
002
職場の器械の名前がちょっと変だった。もちろん詳しくは書けないが、「カタカナのもっとかっこいい名前をつけなよ」「助詞が抜けてる。Twitterじゃないんだから」と思った。数日経っても、その名前が頭を流れるし、どこかで聞いたことがあるような気さえする。
その名前が和歌の結句のリズムで流れていることに気づいた。ということは……変な名前は七音だった。(音としての)助詞の抜け方は、百人一首の「水くくるとは」「波越さじとは」に近い。なんてことない名称にポエジーが潜んでいて、それを受けとる力は、国語教育で培われていた。
001
中学生のとき、Twitterで知り合ったひとと、はじめて会った。久しぶりのようなはじめましてだった。話していると、すきなものが似ていて、同じくらいずぼらで、地元もそれなりに近いことがわかった。たった数時間、互いに遊び尽くしている梅田で会っただけなのに、それぞれの八年が混ざって、知らない街を旅したような心地になった。
会うためにLINEを交換して、本名を知ったが、もしクラスメイトだったら、出席番号は前後になるはずだ。わたしたちは、高校の修学旅行の日程と場所がほとんど同じで、おそらく同じ時間に那覇空港にいた(当時、それぞれにInstagramを見ていた)。出会いは学校ではなくインターネットの海で、はじめましては那覇空港ではなく、大阪駅の御堂筋口改札で。
あのとき出会わなければともだちにならなかっただろうなあと思うひとや、大人になって再会してともだちになったひとがいるけれど、いつ・どこで会っても彼女とはともだちになっただろうなあ、と水無月を食べながら思った。