あ、little light!
泣いて、泣きやんで、また泣いて、生きるのだ。でも、かなしみとかなしみの間には小さなひかりがある。よろこび・しあわせ・気づき・諦め、そういうもの。じぶんで灯すこともできるし、誰かが灯してくれることもある。(2024.8.27)
かつてそのような文章を書きました。以下は、わたしの小さなひかりの記録です。
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007 日記脳
仕事帰りに京都王将へ。ちょうど水曜日でクーポンがある。餃子二人前とライスを注文した。水曜の夕食時だが、すぐにサーブされた。タレをくーーる、くーーるとかける。少し食べて、タレの不足を感じたのでまた、くーーる、くーーるとかける。右隣のひとのメイン(何だったか忘れた)と炒飯がやってきた。写真を撮ってから食べはじめた。左隣のひとのハーフ餃子がやってきた。わたしは引き続き餃子を食べる。進める。たちまち右隣のひとの餃子がやってくる。また写真を撮っている。
このひとはごはんアカウントをやっているのだろうか。以前付き合っていたひとは、ごはんの写真を投稿するアカウントを持っていた。食べたものだけ、食べたものは全部、投稿するルールだった。お洒落ではなかったし、食事とは言い難いものも食べていて、あれはすばらしい日記だった。アカウントを教えてもらったときは、「やられた……」とさえ思った。
小皿が目に入った。もしかしなくても、タレはあの皿に入れて・つけて食べるのだろう。つい、洗い物を減らしたいがための家のルールを適用してしまった。しかし、今更小皿を取る勇気はない。小皿の存在を知らず、このままタレをかけるひとでいたい。なぜなら、日記に書かれたくないからである。「隣の女はようやく小皿の存在に気づいたようだ。愚かである。」などと書かれたらたまったものではない。
わたしが餃子を食べ終わるころ、左隣のひとの冷やし中華が届いた。麵がつやつやで美味しそう。次回はあれを頼もうか、と思いながらも、またクーポンに釣られて二人前の餃子を頼むことは知っている。愚かである。
006 中身で選ぶ
夕食に豚肉と大根を煮よう。多めに作って明日も食べよう。
ハーフカットの大根を袋から取りだす。袋には部位ごとのベストな食べ方が明記されていた。大根は3パートに分けられている。葉に近いほうから、
・少し甘みがあり生食やサラダ・酢の物に向いています
・ふろふき大根、含め煮と煮物等にご使用ください
・ちょっと辛みがあって大根おろしや汁の実・お漬け物に
と書かれていた。スーパーでは、葉に近いほうとそうでないほうが売られていた。「煮物に相応しいのはどっちやろう。わからん」と思いながら葉に近いほうを手に取った。袋に答えが書かれていたとは。では、断面から半分ほど使おう。
そうだ。豆腐の賞味期限が切れていた。豆腐もともに煮よう。前回の買いもので「コクのある絹とうふ」という三連タイプのものを手に入れた。「コクのある絹」とはなんとすばらしいのだろう。木綿より絹がうまいと思って生きてきた。数日前、一パック目をお椀に出したとき、布目の存在に気づいた。絹のくせに布目がある。木綿が紛れていたのだろうか。ありもしないことを考えた。
期限の切れた、三パック目の豆腐を開けるとき、フイルムの文言が目に入った。「製法上、豆腐の表面に布目がついておりますが、絹ごし豆腐です。」それは大変失礼いたしました。つまり、布目の有無でしか豆腐の種類を判別できないような味覚で「絹がうまい」と豪語していたことになる。
食後に雪の宿を食べた。パッケージに「どっちを上にして食べる?」と書かれていた。コメントつきだったのか。手に持つものは、ファミリーパックの最後の1袋であった。
幼少期より「おっとっと」も「たべっ子どうぶつ」も「コアラのマーチ」も一瞥することなく、口のなかに運んでいる。内容物にしか関心がない。今後は中身だけでなく顔も見ましょう。煎餅の欠片がデスクにこぼれた。
005 たこ焼き奉行
「ごごにじゅうご、か」
と、呟いたら、たこ焼きをひっくり返す妹たちの手が止まった。
「いや、前のたこ焼き器は、ししちにじゅうはち、だったら」
反論を聞くや否や各々業務に戻った。食い意地を張っていると思ったらしい。
出来上がったたこ焼きを大皿にあげる。はじめに妹が4個取った。「むかし、暗黙の了解で3個ずつだったよね」と言いながら、わたしは3個取った。「あなたたちが小さいときは、3個ずつが食べやすいかなあと思って入れてたの。その名残」と母は言った。
ソースと青のり、お好みでマヨネーズをかけ、口に放りこむ。食べ終わるや否や、大皿から追加する。あっという間に大皿は空になった。次が焼き上がるまで、もうすこし時間がかかりそうだ。わたしは大皿を見て食べる手を止めた。
「みんな、3個か4個ずつ取ったのに、ぴったり空になったやん」
それぞれ何回ずつ取れば、大皿をぴったり空にできるだろうか。25は3や4の倍数ではないから……計算の末、2パターンあることがわかった。ひっくり返す係をやらないくせに「3個取るのは3回までね」「はい、あなたは4個」と鍋奉行ならぬたこ焼き奉行を務める。母は「すきなだけ食べたらいい!」と呆れかえった。大皿がぴったり空になることに美を感じていた。
以前のたこ焼き器なら、4個ずつ取るのが適切だった。しかし、次が焼き上がるまでに大皿を空にできるほど、わたしたちは大きくなかった。
004 リアル
大きな商店街があるからだろうか。近所でいい街灯がよく見られる。昼にいい街灯見つけ、夜の散歩ついでに光っているさまを見に行く。リアルリトルライトだ。
その夜も目当ての街灯があり、散歩コースを逸れた。iPhoneを構え、街灯を見上げた。もうすこし離れたほうが良さそうだ。道を渡るために信号まで引きかえす。腕をブンブン振って歩いていると、ベンチで休む大きな「骨」に遭遇した。立ちどまってしばらく見つめた。ここは、なに?
見上げると「○○鍼灸整 院」とあった。看板の「骨」が落ちて、扉近くのベンチに置かれていた。わかんむりがくつろいだ腕のように見える。落下による骨折はなさそうだ。「骨」自ら整骨院を体現しなくてもいいのに。嘘みたいな偶然に口角が上がった。
003 エピソード解放
入社二日目のことだった。
上司「あの時計、遅れてるってわかってるのについ見ちゃうんよね」
先輩「わかります。電波時計でしたっけ」
というような会話が聞こえた。いいことを聞いた。それにしても、時計の遅れを自分で気づくでもなく、人に教わるでもなく、小耳に挟む形で知った。わたし以外のひとにとってあの時計の遅れは自明であり、今更、取り立てて話す必要はないのにも関わらず話題に上がった。サイドエピソードは、メインクエストを進めたり、親愛度を上げたりして読めるようになるものなのに。早い段階で、思わぬ形で解放された。
002 ポエジーは潜む
職場の器械の名前がちょっと変だった。もちろん詳しくは書けないが、「カタカナのもっとかっこいい名前をつけなよ」「助詞が抜けてる。Twitterじゃないんだから」と思った。数日経っても、その名前が頭を流れるし、どこかで聞いたことがあるような気さえする。
その名前が和歌の結句のリズムで流れていることに気づいた。ということは……変な名前は七音だった。(音としての)助詞の抜け方は、百人一首の「水くくるとは」「波越さじとは」に近い。なんてことない名称にポエジーが潜んでいて、それを受けとる力は、国語教育で培われていた。
001 久しぶりのようなはじめまして
中学生のとき、Twitterで知り合ったひとと、はじめて会った。久しぶりのようなはじめましてだった。話していると、すきなものが似ていて、同じくらいずぼらで、地元もそれなりに近いことがわかった。たった数時間、互いに遊び尽くしている梅田で会っただけなのに、それぞれの八年が混ざって、知らない街を旅したような心地になった。
会うためにLINEを交換して、本名を知ったが、もしクラスメイトだったら、出席番号は前後になるはずだ。わたしたちは、高校の修学旅行の日程と場所がほとんど同じで、おそらく同じ時間に那覇空港にいた(当時、それぞれにInstagramを見ていた)。出会いは学校ではなくインターネットの海で、はじめましては那覇空港ではなく、大阪駅の御堂筋口改札で。
あのとき出会わなければともだちにならなかっただろうなあと思うひとや、大人になって再会してともだちになったひとがいるけれど、いつ・どこで会っても彼女とはともだちになっただろうなあ、と水無月を食べながら思った。
