In Name Only
わたしには腹違いの姉と兄がいる。
そのことを知ったのは、十七になる年の夏だった。父が初婚でないことは薄々気づいていた。わたしの両親はいわゆる年の差婚で、年齢が一回り違う。父の若いころの写真を見ると、モテただろうなあと思う。そんなひとが三十を過ぎてから結婚したとは考えにくいし、父の浮気を幾度か察知していた。以上のことから、初婚ではない、と『ガリレオ』の湯川気取りのわたしは仮説を立てていたわけだが、まさか事実だとは。しかも、子どもまでいたとは。感傷的な高校生には、受けとめきれない現実だった。
わたしはこの夏、二十三歳になる。その姉と兄に会いたいと思ってしまった。姉は震災の年に生まれ、その弟とは二つ違いだと聞いた。つまり、姉は七つ上、兄は五つ上ということになる。これは最近知ったこと。
わたしには実妹が二人いて、とても仲がいい。妹が二人というのは、テキストにするとどうもごちゃごちゃしてくるため、長女(わたし)・次女・三女と表したとき、三女から見て、長女は七つ上、次女は五つ上である。奇しくも、わたしは三女と似た(似た?)ポジションにいるわけである。
物心がついてから、姉や兄という存在に憧れて、長子として生きてきたので、自分が妹であるという事実がいまだにこそばゆい。もちろん、姉と兄はわたしを妹とはつゆほども思わないでしょうけど、まあ、生物学上、あるいは法律上の話である。
こどものころ、父方の親戚の集まりが盆と正月にあった。同じこどもで言えば、いとこ、はとこ、曽祖母の弟の孫がいた(これだけでも十分ややこしい)。そのひとたちよりもはるかに近しい血族がいて、且つ会ったことがないということが、大人のドロドロした色恋の外にいるこどもとしては、案外ドラマチックでおもしろい。
去年、父が亡くなったときに、相続の関係で姉と兄に連絡がいっているはずだ。相続と言ったって、父が遺したものは負債なので、満場一致で放棄だ。様々な手続きを叔母に任せたため、わたしは彼らにコンタクトできる機会を失った。
もし、姉と兄を探しだすなら、父方の親戚を巻きこむことになる。母にこっぴどく叱られることは目に見えているし、彼らの母もいい顔はしないだろう。何より、姉も兄も、そして妹たちも会うことを望んでいるとは限らない。姉や兄は、家庭を持っていてもおかしくない年齢だ。三女においてはこの事実を知らない可能性がある。「会いたい」というのは、所詮、わたしの夢なのだ。
記憶力おばけのわたしがショックのあまり、姉と兄の名前を忘れてしまっている。生前、父から聞いたこどものころの姉は、どことなくこどものころのわたしに似ている。母が見た写真の兄は、父に似て、目がくりくりしているらしい。名前はわからないけれど、いつかばったり会うかもしれないし、もうすれ違ったかもしれない。人混みを歩くたびに、わたしのたましいは彼らを探している。
書いて、書いて、書きつづけて、もう会えないひとたちにも届いて、姉と兄にわたしを見つけてもらいたい。なんて、つくづく他力本願な夢である。いいのだ、それで。全部自分で叶えてしまったらおもしろくない。わたしはまだ感傷的である。