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金柑

書いているけれど書けない。という状態が一か月ほど続いている。人に文章を見せるのが怖くなった。文章を批判されたわけではなく、むしろよく褒められた。有難いことに「ファンになった」と言ってくれるひともいた。うれしかった。わたしは書いていてたのしいから、誰かに読んでもらえるのがうれしいから文章を書いている。人に喜んでもらえる文章を書こうと努めた。それがよくなかった。わたしがたのしくなかった。気に入ってもらえるような言葉選び、感情を排除した語り、きちんとしたオチ。どれもわたしらしさが損なわれていた。

 

自分だけが読む小説を書くことにした。エッセイはほんとうのことしか書けないけれど、小説はほんとうのことを嘘として、嘘をほんとうのこととして書くことができ、自由だと思った。自由だから悩むこともあるけれど、悩んでいる時間がまたたのしいのだった。

 

小説にバターロールが登場する。Wordに「バターロール」と打つたびに口内の唾液が増える。天辺のつやつやを思いだしてうっとりする。

 

大学の授業がはやく終わった。降りたことのない駅で降りてバターロールを探しにパン屋さんへ向かった。その店は地下にあった。階段のそばの看板に「きんかんはじめました」と貼紙があった。階段を降りて、重厚な扉を引く。

 

残っているパンは僅かだった。バターロールの姿もない。想像できたはずだ。パン屋さんでアルバイトをしていたことがある。働いていた店舗ではパンを焼くのは昼過ぎまで。夕方には売り切れている商品が多い。バターロールは安いこともあってか、はやくに売り切れる。くやしいと思う間もなく、陳列された豊富な焼き菓子に目を奪われていた。迷っているふりをする。心は決まっていた。金柑のパウンドケーキを購入した。

 

河川敷のベンチで買ったケーキを食べる。パウンドケーキの山の部分に、てかてかのまるい金柑が乗っている。一口目は金柑だった。甘くてやさしい味。冷たくなった手でケーキを握った。ケーキはしっとりしているけれど軽く、気づいたら手元から消え、胃の中に運ばれた。これが金柑。これがわたしの冬。

 

食べ終えたあと河川敷を散歩した。橋の下に回転灯というものがあった。注意報が出たら点灯して、川を離れるように注意喚起するものらしい。これを見たとき「金柑だ!」と思った。橙色でまるい。パウンドケーキに乗っていた金柑に色も形もそっくりだ。そうだった。わたしはこういうことを書きたいのだった。どうでもよくてつまらない、でもその瞬間にしかないときめきを書きたい。ときめきを書くのがたのしい。それを読んでもらえたらなおうれしい。そういう心持ちで書いていきたい。