昨日のひかり
眠るのが苦手だ。しかし、起きるのはすきだ。
コーヒーを淹れてのんびりしてから出勤する。通勤電車で日記を書く。毎朝のコーヒーと日記がわたしの楽しみだ。コーヒーは一日に三杯まで。眠るのが苦手なので、一般的に推奨される摂取量を守っている。カフェインがリセットされた喜びとともに、毎朝コーヒーを淹れる。そもそも、眠ったらカフェインって抜けるのだろうか。前日の日記をつける。電車には一〇分しか乗らないため、タイムアタックだ。時間と場所を決める。そうして習慣は作られていくらしい。日記は三日坊主の代表だ。三日分の日記をまとめて書くのはルール違反だろうか。そもそも、眠ったら「今日」は昨日になってしまうのだろうか。
目覚めたら病室だった。身体中にコードと管がついている。記憶の切れ目まで戻る。どうやら交通事故に遭ったらしい。眠ったら「今日」は昨日になった。しかし、「明日」は今日にならなかったかもしれない。やはりわたしは、眠るのがこわい。目を瞑ったらちゃんと明日になってほしい。
十代のころから眠るのがこわい。過酷な環境下で育った。昨日まで当然のようにあったものが易々と壊れていく。何度も経験した。
高校生のころ、眠れぬ夜は星を見ていた。南の窓を開ける。冬の夜は、それはそれは豪華な空だった。シリウスは、全天で一番明るい星だ。地球からシリウスまで八・六光年と言われている。とても近い。シリウスの光は約八年前のものということになる。他に冬の大三角を構成するプロキオンは約一一光年。そして、冬のプラネタリウムの定番、ベテルギウスは、六〇〇光年以上離れている。年老いた星で、近々(そう、宇宙にとっての近々)超新星爆発を起こすと言われている。つまり、死ぬ。あの光は六〇〇年以上前のものだから、もう死んでいる可能性もある。目を凝らせば、都会でも三等星くらいまでなら見える。未来など見たくもなかったわたしは、遠い昔の光ばかり見ていた。
星を見ることと日記をつけることは似ている。わたしは過去ばかり見ている。未来志向が推奨される地球でずっと過去をふりかえる。目を凝らせば、暗闇のなかに小さなひかりが見つかる。おもしろいことは起こすのではない。もう既に起きていて、見逃していることが多いのだ。
わたしは、後ろからやってきた右折車に跳ねられた。完全に相手方の過失で避けようのない事故だった。これ以上、何を気をつけて道を歩けというのだろう。後ろにも目がほしい、と何度も思った。しかし、目は前にしかついていないので、振りかえるしかない。
明日があってほしい、と何度も思った。明日のことはわからない。しかし、昨日までは確かにあった。だから、ふりかえって、昨日のひかりを慈しめばいい。
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【参考文献】
縣秀彦(2017) 『星座の探し方から星の神話まで 星空の見方がわかる本』 学研プラス
