2月5日の日記

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2/5(水)晴れ

朝、母からリンクが送られてきた。URLから情報を掴もうと重たい瞼を持ちあげる。(osaka?)休みをとったと話したから、大阪のイベント情報をまとめたサイトでも送ってきてくれたのだろうか。通知音で起きたはずなのに「1時間前」と表示されている。もう一度アルファベットの羅列を見た。(ohakaだ)目をひらく。メッセージをひらく。安価で永代供養できる霊園の情報をまとめたサイトだった。

 

昨晩、母に電話をかけた。わたしには手を合わせにいく場所がない、と嘆いた。父の遺骨は叔母の元にある。事の経緯は複雑で、日記にさらりと書くだけでは誤解を招く可能性があるので省略したい。とにもかくにも、手を合わせる墓も仏壇もないため、父はまだ幽霊をやっていそうだし、わたしはわがままな大人に憤怒しているわけである。母は「好きな形で弔えばいい」と慰めてくれたが、行き場のない怒りは涙に変わる。あまりにも泣くものだから、いろいろ調べてくれたようで、どうにか遺骨を譲ってもらい、こちらで永代供養するのがベストなのではないか、と話した。

 

母をLINEで見送ったあと、二度寝して、起きたら9時だった。洗濯をまわしている間に駅前のパン屋さんへ行き、コーヒーを淹れている間に部屋を片づけよう、と計画を練る。ベランダに出て洗濯機をまわす。掃き出し窓を閉めて窓越しにパネルの数字を見る。いつもなら、表示が容量から時間に変わったあと、勢いよく水が出て洗濯がはじまる。が、水の音が聞こえない。給水ホースを持ちあげたら「しゃり」と音が鳴った。凍結だ。油断していた。蛇口を開けっぱなしにしていた。お湯をかけようと台所へ行き、赤いほうの蛇口をひねる。全く出ない。いつもは水がお湯にならないだけだが、今日は水ですら出ない。青いほうの蛇口をひねって鍋に水を張る。火にかける。ベランダに戻り、固くなった蛇口をしめてホースを外す。蛇口をしめるために普段開けないほうの扉を開けたら、網戸が外れた。扉と室外機の隙間に立てかけておく。台所に戻り、鍋に指をつける。適当な温度になったら、鍋を火から外し、ベランダに持っていく。とりあえずかけてみたが、ホースは室内に入れておけばいいだけだと気づき、風呂場に放りこむ。腹が減ったのでパン屋さんへ行く。

 

部屋を片づけてパンを食べながら『ホットスポット』を観る。15分ほど観たあたりで洗濯をまわす。観終わるころに干せるように。気温が上がって氷が溶けた。お湯も出る。

 

役所に行く準備をする。新しい住所を記す余白がなくなり、マイナンバーカードを再発行したので、新しいものを受けとりに行く。証明写真の撮影の成果がたのしみだ。IH・ヘアアイロン・エアコン・ベランダの鍵を確認したところで、外から大きな音が聞こえた。風で何か倒れたようだ。適当に立てかけた網戸が心配になり、ベランダに戻る。そもそも、網戸の建てつけが悪いんじゃなくて、室外機のホースが邪魔してんねん、と悪態をついていたら、雪が降ってきた。父が亡くなったのは、ちょうど今ぐらいの時間だ。手が赤くなった。

 

アパートを出る。雪が舞っている。大きな植木鉢が倒れていた。「粉雪」をすこし聴く。彼の声を聴いたら「3月9日」を聴きたくなって(2月5日だけど)と思いながらかける。「少しずつ朝を暖めます」めっちゃ冷やされて凍結しました。

 

寒さの影響は夜まで続いた。いつもどおり、水がお湯にならず銭湯に行く。明日は2月6日。風呂の日でシニアの入浴料が安くなるらしい。

 

2/6(木) 晴れ

目を開けたら日が暮れていた。エアコンは弱い風を送る。横になっているわたしの周りの空気は冷たい。暗闇のなかでTwitterをひらく。福山雅治のツイートが流れてきた。今日が誕生日らしい。わたしの父と彼は同い年だ。彼がテレビに映るたびに「福山雅治は43歳でもあんなにかっこいいのに、うちのパパは……」と茶化した。父はカラオケで「家族になろうよ」と歌っていたし、ガリレオの映画も誘ってくれた。父も福山雅治がすきだったのかもしれない。

 

ほんとうに同い年なのだろうか。両親がそう言っていただけで調べたことはなかった。Apple Music のプロフィールを見る。

 

ー1969年、長崎に生まれた福山雅治。 

ほんとうに同い年だ。

 

ーシンガーソングライターを目指したきっかけは、17歳で経験した父の闘病と他界だった。

 

鼻の奥がツンと痛む。わたしは21歳で父を、わたしの父は19歳で自身の母を亡くした。大きな節目だけでなく、小さな発見ですら、もう一緒に喜べない。わかりきっていることなのに、同世代とその親のたのしそうな姿を見ると、寒い風呂場で誤って水を浴びたときのように虚しくなる。親より先に死なないかぎり、親は先に死ぬし、風呂場で水を浴びたことのあるひとはたくさんいる。でも、この虚しさはきっと経験したひとにしかわかない。わたしも父を亡くしてはじめて、父のこころの陰がすこし見えたような気がした。寄り添ってあげられなかったことを悔やんだ。

 

それから「AKIRA」という彼の父の名前がついたアルバムを再生した。

 

つまり私は私に熱狂していたいのだ

それこそが私が生きる意味になるのだから

(福山雅治/暗闇の中で飛べ)

 

父の命日は特別なことをせず、ただの休日として過ごした。日記の継続的な公開を止めているいま、この日だけ日記を公開したら、特別なものになってしまうかもしれない。2月5日は、どうしようもなくこころが揺さぶられてしまう日だが、また日記のZINEをつくるのならば、2月4日の次の日で、2月6日の前の日でしかない。

 

父は酒でからだを蝕み、肝硬変で亡くなった。父がアルコール依存症になったことで、当たり前だった日々は壊れていった。最初の欠片が落ちたのは、わたしが10歳のときだ。こどものころから、周囲の大人に「しっかりしている」と言われてきた。ほんとうはそうではない。ただいつも臨戦態勢にあっただけだ。何度もやってくるかなしみに気圧されないように背筋を伸ばし、浅い呼吸で、暮らしを睨みつけていた。22歳のいま、もう敵はおらず、耐性のついたからだは、ちょっとやそっとのことでは倒れないはずなのに、いまだに暮らしを睨みつけているわたしがいる。ただの一日を過ごしてもいいこと、その一日いちにちを重ねる権利を持っていることを理解し難いわたしがいる。

 

" 多分、君たちは今の自分たちの物語に比べて、あまりにも強烈な、どこに出してもだれに聞かせても大きく心が動くような過去の物語を背負っているから、自分たちの若いささやかな物語に自信が持てなくなってしまっているんだろう。でも、小さい声で語られる物語だっていいじゃないか。それが君たちの持っているものなら。やがて過去の物語と、今の物語はひとつになるかもしれない。それが人生だし、そうやって創っていくものだし、予測はつかないけれど、ベストはつくせる。"

よしもとばなな(2017)『鳥たち』集英社文庫 p.169-170

 

『鳥たち』は幼いころに両親を亡くした男女の物語である。これは、主人公のまこちゃんが尊敬する末長教授にもらった言葉である。

 

福山雅治に父を重ねているのではない。彼は父の歳を越えた未来のわたしを見せてくれているように思う。もちろん、わたしは彼のようなすばらしいミュージシャンにはなれない。でも、一日いちにちを重ねていった先にわたしが続いていることを確信させてくれた。小さな声で、ただの一日の日記を書いて、書きつづけて、わたしはわたしに熱狂したい。そういう暮らしをいつか父に自慢してやりたい。