やみ間を描く - BLOG

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今月上旬に「雨ときどきやむ」を公開しました。このプロジェクトは、ずっと練ってきたものではなく、夜中にひらめいて、三日で決定したものです。

 

上旬の日記はかなり暗く、日記のとおりしんどい状況が続いていました。しんどいときのじぶんが残した粗い日記を、まだからだを起こせるじぶんが修正して更新するという形を取っていました。書くことだけが毎日のたのしみなのに、このままではいつか書けなくなる。そんなとき、たまたまともだちがイラストを褒めてくれました。わたしは日記のページにイラストを添えています。あまりにも褒めてくれるものだから、かなり調子に乗ってしまいました。

 

ある夜、わたしは〈これだ……!〉となったわけです。イラストをウェブサイトにあげようと思いました。ちょうどXにうんざりしたり、ヨシタケシンスケさんのスケッチに憧れたりしていた時期でもありました。ここにわたしのTwitterを作ろう。そして、明るいことを描こう。あるいは暗いこともチャーミングに描こう。イラストなら描ける! そうして、このプロジェクトがはじまりました。

 

次の日、勤務中に布を畳みながら、タイトルをつけるのかつけないのか、つけるならば何か、考えていました。頭のなかのメモをひとつひとつ開いていく。そこで見つけたのが「雨時々止む」というワードでした。

 

カラオケ屋で働いていたころ、電車で通勤していました。イヤフォンも本も忘れた日だったのでしょう。液晶ディスプレイを眺めていました。そこに「今日の天気:雨時々止む」と表示されていました。「雨時々曇り」じゃないの? 見慣れない表現だったのでメモしました。気に入ってエッセイのタイトルにしました。タイトルだけ決まっているエッセイでした。

 

一年半経ってもそのエッセイは白紙のままでした。使うなら今しかない。ちょうどかなしい日々のなかの「やみ間」のような時間のことを描きたかったのでぴったりだなと思いました。それから「雨時々止む」という表現について調べました。本来の意味とイメージに相違はないか。「雨時々曇り」との違いは何か。わたしが知らなかっただけで一般的な言い回しなのか。三つ目の疑問は調べれば調べるほどわからなくなりました。ここはじぶんの感覚を優先して、タイトルに使うことを決めました。

 

わたしなんかがイラストを載せていいのか、立ちどまって考えました。最後に絵を習ったのは中学校の美術の授業で、特別うまいわけでもなく、ずっと絵を続けているひと、それを究めるひとがいるなかで、絵を見てくださいと言ってもよいのか。ちょっと待って、とわたしの頭のなかに棲むヨロコビが言いました。あなた、文章にもそう思ってる?

 

こどものころ、苦手意識のあった体育や音楽よりもできなかったのが作文でした。読書感想文、人権作文、初発の感想、スピーチコンテスト(みんな書かされるやつ)、要約文。原稿用紙を見るとうっすら気分が悪くなる。高校生のとき、悪事を働いたわたしは反省文を書きました。人からすればだいぶショッキングなことをしてしまったので、事態を軽くしようとユーモアを交えました。それが褒められてしまった。それから調子に乗って、調子に乗ったまま今日まで文章を書いてきました。上手かどうかはわからないけれど、たのしいから書いている。褒めてくれるひとがすこしだけどいる。絵を描いて公開することもそれでいいじゃんと思いました。

 

苦肉の策だったプロジェクトですが、調子を取り戻したため、「やみ間」の記録ではなくなりました。でも、かなり、けっこうたのしいので、続けようと思います。気が向いたら覗いてみてくださいね。では。

 

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