9/23(月)くもり

頭のなかでエッセイを書く。〈ヨシ!〉となったものが二本、〈よしよし〉となったものが一本できた。まだ構想、まだ妄想。

 

9/24(火)晴れ

インスタント食品の棚を開ける。何にしよう。うどん、ラーメン、カレー、焼きそば……焼きそばいいな。UFO・ベストプライス・ごつ盛り。賞味期限が九月末だったごつ盛りを選んだ。湯を入れる。冷蔵庫に貼られた献立表を眺めながら考えごとをしていた。途中で時間を計っていないことに気づく。どのくらい経っていただろう、三十秒くらい? 適当に計る。また空想の世界に戻る。すぐにタイマーが鳴った。はやい。こんなにはやいということは献立表を眺めていたのは三十秒どころではなかった可能性がある。湯を切る。

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先週分の日記を更新して、夕食を済ませたらかなしくなった。散歩に出る。川のそばに座った。ここは川の分岐点だ。どどどと水が流れる。誰もいない。声をあげて泣いた。もう生きていても仕方がないと思った。

 

はじめて「死にたい」と思った日のことはよく覚えている。十五歳の冬だった。ともだちと映画に行き、帰ってきたらまた両親が喧嘩していた。「また」である。もう五年くらいになる(当時。あと二年つづく)。夜遅くまで、朝早くから喧嘩されるものだから、徐々に眠れなくなっていった。家で弱音を吐けない分、学校で泣いてしまうことが増えた。幸い、学校は安心できる場所だった。ともだちにも先生にも夢にも守ってもらえた。しかし、家に帰れば地獄だ。二階の部屋に逃げて毛布にくるまって泣いた。この苦しみから解放されるには、わたしが死ぬしかないと思った。死ねばもう苦しみを感じなくていい。ひとたび生まれた希死念慮は、しぶといから消えなくなってしまった。

 

川のそばでうずくまった。腰のあたりをさすった。もう誰も背中をさすってくれないし、自分の手は背中まで届かないから、腰。そうしているうちに書きたいシーンがひとつ浮かんで、涙が引いた。目が痛かった。ほぼ毎日、泣いているのに目が痛くなるまで泣いたのは久しぶりのような気がする。

 

9/25(水)晴れ

よく河川敷を散歩する。私鉄と新幹線と離陸したばかりの大きな飛行機が見られる。私鉄の線路と新幹線の線路は交差していて、列車が交わる瞬間を見られたときはいい気分になる。この街のすきなところ。

 

9/26(木)くもり

夜、YouTubeでノンスタイルの漫才を見る。ズボンのチャックが開いていることを指摘する、というネタ。下品なテーマだし、やっていることも下品で、わたしはこの手の笑いが苦手なのだが、からからと笑ってしまった。感動に近い。石田すごい。

 

9/27(金)晴れ

『虎に翼』最終回。このドラマと歩んだ半年間はわたしのお守りです。

 

夜中のキッチンで泣いた。もう死にたいと思った。「光るとき」を聴いたらもっと涙が出てきた。まだやれると思った。冷蔵庫から六花亭のボンボンを出して食べた。最後の二個だった。コアントローという味がすきだった。原料がオレンジのお酒らしい。すこしずつ食べていたお菓子はいつかなくなる。かなしみもずっとは続かない。

 

9/28(土)くもり

近ごろ、入眠に時間がかかる。夜がこわい。いま仕事をしていないので、こわくない昼にすこし寝ることにしている。昼に寝るから夜眠れないのではなく、夜眠れないから昼に寝て、からだを休めているという感覚である(卵が先か鶏が先か)。上手く食事がとれなかったときと同じ心持ちで、食べられるときに食べる、眠れるときに眠ることにした。つまるところ、アンヘルシーなのだけれど、調子の悪いときは生命活動さえ維持できればいいのだ。夜中に聞きはじめたラジオがおもしろくて、寝転んで聞くのがどうにももったいなくて散歩に出た。声を出して笑ってしまう。歩いていると黒い物体がたくさん落ちていた。何かの影・何かの模様・ほんとうの落としものだった。二時間歩いて疲れて寝た。

 

9/29(日)くもり

死にたいきもちに苛まれた一日だった。どうにかかなしみから抜けだそうと手を尽くしたが、振り子が左右に揺れるようにかなしい時間とそうでない時間がくりかえされて苦しかった。夜中に泣きながら川を見た。フォロワーさんが虫の音の動画をあげていた。イヤフォンをして聞いた。動画の音と川辺で聞こえる音があまりにも似ているから、どちらの音なのか判別できなくて、イヤフォンを外したり、音量を上げたりして確かめる。そうしているうちにたのしくなってきて、大丈夫だと思った。死ねなかった・死ななかった夜を積み重ねていく。それがわたしの人生なの?

 

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